なぜチャレンジが大切なのか

お知らせ

私の周りには、絶えずチャレンジを続けている人がいます。
一方で、口では「チャレンジは必要だ」と語りながらも、チャレンジすることを諦めている人もたくさんいます。

両者には、あらゆる点で大きな差が生まれているのは言うまでもありませんが、人間にとってチャレンジは必要だという価値観は共通しています。
私も幼い頃から、チャレンジは良いことだと何となく理解してきましたが、根拠について深く考えたことはありませんでした。最近、この事について考える機会があったので、備忘録の意味も含めて書かせて頂きます。

まずは、人生の法則を確認しました。私たち人間や動植物、または人間が集まり組織されている団体や会社等の全ての生きとし生けるものには、始まりがあり、必ず終わりがあります。平家物語の冒頭に「諸行無常」という言葉がありますが、この言葉は、この世のすべての物事には常がなく、すべて移り変わっていくいう仏教の教えになります。
つまり、自分が求める・求めないにかかわらず、人は絶えず変化するという特性を持っています。昨日の自分と今日の自分はわずかですが異なります。そして、誰しもが心の奥底では、昨日の自分より今日の自分を進歩させたいと願っていると、私は信じています。

しかし、人間はそのような法則や特性をもっていながら、今のままであり続けたいと現状維持を望んだり、過去の良かった頃を思い返して進歩を止めてしまう特徴があるように思います。この気持ちは理解できるのですが、特性上、人間は止まっていることができません。つまり、前に進む進歩をやめた途端に、後ろに動き出してしまい、退歩が始まってしまうわけです。
退歩が進むと、言っていること(考えていること)と、やっていることが一致しなくなる傾向があるように思います。これが冒頭の、口では「チャレンジは必要だ」と語りながらも、自分はチャレンジすることを諦めてしまっている状態だと思います。
「信」は、人と言を組み合わせた漢字であり、有言実行により信頼は得られる、有言不実行は不信感に繋がるという意味として、私は理解しています。

以上を整理すると、人間は大別すると進歩か、退歩かのどちらかにより変わっていることになります。天は現状維持という選択肢はつくられませんでした。ですから、進歩をやめると退歩してしまうので、進歩を続けるためには工夫が必要になります。それこそがチャレンジであり、私はチャレンジとは「高い目標を設定し、常に現状を否定して少しでも改善を続けること」だと定義しました。

毎日、少しずつでも仕事・人生を改善していくことが大切なのだと思います。
当社は社員と共にチャレンジを続けてまいります。

大道 和哉