善き交わり
仕事の合間、睡眠前、入浴中等の隙間時間には、徹底的に中国古典を学ぶようにしています。少し遅かったですが、生きる上での根幹となる学びに出会うことができたことを、大変嬉しく感じています。精一杯学び、学んだことを実践に生かしてまいります。
最近、論語を読んでいて特に心に残った『善き交わり』について、少し感じたことを述べます。人間は、人と交わらずには生きてはいけない社会的動物であると言われます。人間という言葉の由来は仏教用語らしく、様々な解釈がありますが、人は人々の間でもまれて始めて人となるから「人間」。つまり、人間は一人では生きてはいけない、それが人間という動物の最たる特徴であると私なりに理解しています。
その特徴の通り、私も含め大抵の人は「交わり」を求めているように思います。そして、多くの方が悩みを持つのも「交わり」、つまり人間関係であるとも感じています。そこで考えなくてはならないのは、人と繋がりたいと思うのは人間の欲求なのですが、その欲求を正しくコントロールして『善き交わり』を目指していかないと、結局のところ幸せが持続しないという課題です。
やみくもに人との繋がり求め続けても、かえって心は騒がしくなり、幸せは遠のくではないかと思います。繰り返しますが、人間は『善き交わり』を目指すべきだと思います。
論語の中に、以下の教えがあります。
「子曰く、晏平仲、善く人交わる。久うして人、之を敬す。」
孔子が言われた。晏平仲(あんべいちゅう/人の名前)は善く人と交わった。そして久しく交われば交わるほど、人は晏平仲を尊敬した。
私はこの一説は『善き交わり』の本質を捉えている教えだと感じています。その本質とは、人間の外見ではなく、中身を重視した交わりを持つことだと理解しています。
交わりが浅くその人との距離が遠ければ、外見が強調されますから、実物とは異なる印象を与えます。しかし、交わりを持ち、距離が近くなればなるほど、嫌でもその人の中身が見えてきます。
晏平仲という方は外見もさることながら、外見以上に中身が素晴らしかったため、交われば交わるほど、人はその魅力に惹かれて尊敬したわけです。反対に捉えれば、自分の中身以上に外見を装飾し、大きく見せてしまうと、交われば交わるほど、外見以下の中身が露呈され、相手に失望や不安を与えてしまうのではないかと思います。
この教えを肝に銘じたいと思います。一期一会の御縁に感謝し、素直な自分でお客様と向き合ってまいります。