新入社員の論語勉強記! 第11回
大道桂三です。
新入社員として良き習慣を身につけるために論語を学んでいます。毎週、1章句ずつご紹介させて頂きます。
論語とは、孔子とお弟子さんとのやりとりをまとめた本で、儒教を代表する経典になります。日本では江戸時代の寺子屋や藩校などで一番盛んに読まれていたといわれており、若い人を育てるときの教科書となっていたそうです。優しい気持ちや慮り、あるいは努力する心、言い訳しない潔さ、人との距離のはかり方など、日本人らしさともいえる考え方のもととなるものがたくさんあります。
未熟極まりない文章ではございますが、最後までお読み頂けましたら幸いです。
■章句
樊遅(はんち)、知を問う。
子日わく、民の義を務め、鬼神(きしん)を敬して之を遠ざく、知と謂(い)うべし。
仁を問う。日わく、仁者(じんしゃ)は難(かた)きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし。
■訳
樊遅が知についてたずねました。
先生がおっしゃった。「民は、人としてあるべき規範を身につけるように努力をして、神仏に対しては敬うが、なれなれしく近づいたりはしない。それが知るということだろう。」
「では、仁とはどういうことですか?」とさらにたずねました。
「いやなことや難しいことを先にして、利益はあとまわしにする。それが仁というものだね。」
■今回の章句で学んだこと 「正しく知るとは、正しい意味を学び、実践すること」
今回の章句で私自身の知ることの認識の浅さを痛感しました。知ることの認識の浅さとは、正しい意味をわかっていない、表面的な言葉としての意味をわかっているが実践できていないこと。正しく知るということは、正しい意味を知ること。そして、正しく知ったことを実践すること。
正しく知ることで、仁の心である相手に対する思いやりの心が自然と行動として出てくるのだと思います。
普段、何気なくわかったと思うことも本当にわかるまで意味を学んでいない、わかったとしても実践できていないことが数え切れない程あります。
この論語勉強記も正しく知ることを目的に行っています。単に表面的な言葉として学ぶだけでなく、学んだことを日々実践していく。すぐにできるようになるようなことではありませんが、愚直に正しく知ることを行っていきます。